▲10月11日~29日 ヒマラヤ トレッキング 安陪、他5人(現地スタッフ3人も)
★日本人メンバー:安陪、浅原ガイド、他4人
ネパール人メンバー:
ナーレ ガレさん(男性51歳)山岳ガイド、日本食コック
レンジ シェルパさん(男性30歳)山岳ガイド
ニナ シェルパさん(女性40歳)ゾッキョドライバー、Namcheから2時間位のThamoに住んでいる。ゾッキョ(ヤクと牛の合いの子)2頭、我々の全荷物、食料を運んでくれる。ゾッキョは、宿泊地に着いたら放し飼いにする。
全般)
ネパール人メンバーとはLukraで合流。
ツアー中の全食事は、ナーレさんが宿泊先、ツアー中の昼食も適切なレストランの厨房を借りて、日本食を作ってくれた。刻みのり、ワサビ付ざるそばやチラシ寿司もでる。日本で食べるものと遜色はない。クリームシチューの素など、ほとんどの食材は日本から持ってきた。朝食はおかゆもでる。
以前はLukraへはカトマンズから飛んでいたが、カトマンズ空港(正式名称:Tribhuwan International Airport)は国際空港であるため、国際便を優先する。そのため、LukraへのDomestic flightは不安定となっていた。ネパール政府はLukra間は、カトマンズから130Km離れているRamechhap空港からと変更した。我々が行く前、Lukraは天候不順(有視界飛行のため雲が出たりすると、運行しない)で4日間、飛行機が飛ばず、約2000名のトレッカーがRamechhapに足止めされた。我々が行った直前には、運よく解消されていた。このために、我々のツアーには予備日が2日ある。このように、Lukraの天候次第で飛行機が飛ばない可能性があるので、全宿泊所ロッジの予約はできない。すべての宿泊所は、その日、その日にナーレさんが決めているとのことであった。もちろん、ナーレさんをはじめ、ツアー同行のネパール人、浅原ガイドの馴染みのロッジである。
Ramechhapへは、カトマンズから4時間以上かかる。道路事情は悪く、砂ほこり、でこぼこの悪路のところもある。実際我々が行った時、1台が側溝に落ちており、大型トラックがパンクし、道をふさいでいた。
エベレスト周遊、Three Passesトレイル(Kongma La、Cho La、Renjo La、 Laは峠の意味 これらの峠をつなげたトレイル)の内、今回のRenjo Laコースは、Cho 0yu 8188m、Everest 8848m、Lhotse 8414m、Makalu 8463mの8000m峰4座をはじめとする多くのヒマラヤの山々を俯瞰できる。特筆すべきは、Everestのチベット側の北東稜も含め全ての稜線が見えるのはこの Renjo La 5360mからのみである。今回のルートはRenjo Laをハイライトとするルートで、総歩行距離120Km、最高到達高度5360m。トレッキング期間は2週間であった。因みにThree Passesトレイルをトレキングすると1か月位かかる。この時期は、トレッキングシーズンで全日天候は安定している。
浅原ガイドから、ペットボトルに入っている水以外を呑むこと(できればペットボトルの水も沸かしてから飲用とすること)と確実に風邪をひくのでトレッキング中のシャワーは厳禁を言い渡された。
トレッキングルートは、明瞭で間違うことはない。我々のトレキング形態は、各々が勝手に歩く形態である。1人で歩きたければ、30分以上間が空いても問題にしない、おしゃべりしながら歩きたければ、一緒になって歩く。山岳ガイドも我々をサポートしながらも、勝手に歩く。ヒマラヤを自分自身で感じて欲しいという配慮と感じた。
上空は、いつも朝からヘリがひっきりなしに飛んでいる。ほとんどがレスキューヘリとのこと。この時期、万単位のトレッカーがこの領域に入っているとのこと。我々がGokyo 4870mにいた時、ヘリが2台来て、外人3人を乗せて下へ降りていった。私もGokyo Ri(Riは山の意味)5360mと翌日のRenjo La 5360mに登った時、5000mを越えた頃からペースがガクッと落ちた。深呼吸しながら水分を摂りながら休みながら高山病にならないようゆっくりと登っていった。山岳ガイドのレンジは、鼻歌混じりでひょいひょいと登って行く。さすがシェルパ族である。浅原ガイドは、高山病になったら、命に係わるので即降ろすと言っていた。以前のツアーで、高山病になった方がいて、ヘリで降ろしたと言っていた。
10/11 成田をお昼前に出国、日本時間では翌日、カトマンズ時間で20:35にカトマンズ到着。現地エージェントの車で、タメル地区のHotel Buddhaへ。なお、ブータンに行く経由地として7年前にもカトマンズに行ったが、その時に泊まったホテルは、コロナの影響を受け、廃業してしまったとのことであった。
10/12 午後は市内観光。オートバイの数が半端ない、幅2m位の路地にオートバイがひしめいて渋滞している。排ガスもすごい。浅原ガイドの話では、意味もなくオートバイに乗り回すことがネパール人の仕事とか。日本人が気分転換で車に乗って遠出するのと同じか?
10/13 AM1:00、現地エージェントの車でカトマンズ出発し、Ramechhapへ。ラゲッジは15Kgまでだが、適当。意味のない木枠の金属探知機を通り、フライト出発時刻より2時間遅れの10人乗りのSita航空に乗ってLukra 2840mへ(20分のフライト)。Lukraで現地スタッフと合流。Lukraのメインストリートが終わるとSagarmatha国立公園の検問所がある。パスポート検閲、許可書を貰う。我々ツアー客の1人が先に行ったが、何のお咎めない。今日の宿泊地は、Phakding 2610m、宿泊ロッジ名Beer Garden。
10/14 今日は Namche(3446m)まで。Namcheで週1の市(Bazar)が開かれる影響か、おびただしい数のトレッカー、ゾッキョ、ロバ、ポーターが行き来する。我々の山岳ガイド レンジも15歳からポーターをしていたとのこと。吊り橋手前で大渋滞が発生する。ゾッキョ、ロバが優先である。Namcheの宿Pumoriではチベット経のお坊さんが2人来ており、米を練って祭祀のお供えものを作っていた。祭祀は年3回するとのことであった。なお、Namcheは、明日行くKunde村の人たちがヒマラヤトレッカーのために作った町とのことであった。
10/15 朝6時からドラ(?)がなり、祭祀が行われていたので、我々の朝食は外のテラス席。今日は高度順応を兼ねてのトレッキング。Everest View Hotelまで多くのトレッカーが登っている。名峰Ama Dablam 6856mを見ながら、Everest View Hotelに行った。お茶をしたが、Everestは雲の中。飲み物の価格は、日本の高級Hotelと同じ位。奥さんが還暦で、ご夫婦で来られた方はEverest View Hotelの予約をしようとしたが、満室で予約できなかったとのこと(1泊4万円/1人)。Everest View Hotelの北に広大な田園風景が広がるKhumjung村がある。トレッカーが急にいなくなる。ヤクの糞を拾いに来ていた兄弟といっしょに下りた。Sanasa 3400mという3軒しかない小さな集落のロッジに泊まる。
お坊さんの手作り
浅原ガイドは「おもしろおじさん」と言っていた。彼もKhunde村出身である。
二人のお坊さんが楽器を叩きながら、お経を唱え祭祀を行っていた。
左に見えるトレイルは、Everest View Hotelを経てKhumuung村に続く
10/16 始めは急登であった。Three Passesトレイルから分かれて、Gokyo街道に入った。徐々に高度を上げていく。途中ウズベキスタンから来た30歳の美人女性タンマと一緒に話ながら歩く。疲れが飛ぶ。彼女は2度日本に来たことがある。Dhole 4200mのYeti Lodgeが今日の宿泊場所。行動時間7時間。
10/17 途中Luza4360 mで個人的に休憩。レモネードが200円。Machhermo 4470mも昨日と同じ名前のYeti Lodgeに泊まる。Kyajo Ri 6186mがLodgeの目の前にそびえている。行動時間6時間。
10/18 Lodgeの裏山Machhermo 5559mの途中の5000m位まで登る高度順応日。Everestもちょっと見えた。行動時間4時間。
10/19 最初は急登であったが、鉄の橋を渡ると傾斜もなくなり、神秘的なエメラルドグリーンの氷河湖が現れる。3つの氷河湖を横に見ながら、Gokyo村 4790mには昼前に着いた。宿泊所はLake Side Hotel。
明日登るGokyo Riへの道が左に見える。
植村直己氏が1965年24歳の時、中央のNgojumba(ゴジュンバ) 氷河を詰めて、
Ngojumba Kang(ゴジュンバ カン)7646mにペンパ・テンジン氏と共に初登頂
10/20 今日はGokyo Ri 5360m に登る。標高差600mの急登であった。Gokyo Ri のことをGokyoの丘と記載されているガイドブックもあったが、私には立派な山であった。5時に宿をでて、11時半に戻ってきた。Gokyo Riからは、Cho 0yu 8188m、Everest 8848m、Lhotse 8414m、Makalu 8463mの4座をはじめとする多くのヒマラヤの山々を俯瞰できたが、絵葉書を見ているような感覚であった。
10/21 Renjo La越えのこの日、行動時間は今ツアー最長の11時間であった。Lunde村までの途中、レストラン、ホテル、住居もない。昼食用におにぎりが朝、提供された。
Everest 中国領の北東稜も見える
(最後に写っているのは、我々の息子、山岳ガイド レンジです。)
Rolwalingの山々が見える
Renjo Laでは、昨日と同じ景色が広がっていた。Renjo La越え、チベット人が亡命してきた荒涼としたナンパラ街道を下る。宿泊地Lumde村4368mのKonde View Lodgeには、夕方着いた。そこには2002年、Gyachung Kang7952mで遭難した山野井夫妻を救出したギャルジンさんがいて、片言の日本語で救出劇を話してくれた。ギャルジンさんはEverest登頂21回で、一時ギネスにも登録された方である。夜、真っ暗な中、Renjo Laの近くにあるキャンプ地向かっていった。また、この日、メンバー1人の還暦の誕生パーティをした。ナーレさんがシナモンケーキを作ってくれた。日本でも十分市販できるぐらいの美味しいケーキであった。
10/22 この日からは徐々に高度を下げながら、3日かけてLukraに戻る。今日の予定はThame 3820mまでであったが、ゾッキョドライバーのニマさんの自宅があるThamoまで下りることをナーレさんが決めた。プラス2時間である。村々をつなげたトレイルで、村にはゴンバ(仏塔)があり、生活感のある道であった。今日の宿泊地は昨日会ったギャルジンさんのお宅兼ロッジであった。ニマさんは、ギャルジンさんのお宅から野菜を貰い、自宅に戻っていった。久々の休息になったであろう。ギャルジンさんのロッジは、周りに花壇もあり、今までのロッジと格段に違う作りの立派なロッジであった。
ニマさんとレンジがゾッキョに荷物をくくり付けている。
ゾッキョも昨日、Renjo Laを越えてきた。
村にはゴンバ(仏塔 右の白い建造物)がある。
10/23 皆、各々の思いをはせながらNamcheに下る。メンバーの1人が体調を崩し、Namcheの病院で診察を受ける。後で聞いた話だが、中は日本と同じレントゲン等近代的な設備が完備しており、女医さんに診察してもらったとか。体調を崩した方は、Namcheから今日の宿泊地Phakdingまで馬で下りてきた。Phakdingに着いた頃は薬が効いたおかげかかなり元気になっていた。私も含め皆、馬に乗りたかったと冗談を言い合った。馬の料金は200$であった。山岳ガイドのレンジと私を含めたツアー客3人は、別行動をとり、Namcheでレンジのお姉さんが経営するカフェに入って、のんびりした。途中、行きと同じレストランでお昼をとり、またPhakdingの宿泊ロッジも行きに泊まったBeer Gardenである。多分このロッジに生ビールサーバーが置いてあるので、ロッジ名をBeer Gardenにしたのであろう。このロッジのオーナーもエベレストに登頂している。
10/24 今日は登り300mがあるがLukraまでである。のんびり余韻にひたりながら歩く。ツアー最期の夕食にチラシ寿司がでた。非常に美味しかった。ニマさんが初めてチラシ寿司を口にした。ニマさんの笑顔が全てを物語っていた。
10/25 今日は、天気がいいので、飛行機が飛ぶ。朝7時には、空港に着く。ひっきりなしにRamechhapからトレッカーを乗せてくる。それにトレキングを終えた乗客を乗せてすぐにRamechhapに戻っていく。4機の飛行機のピストン運行である。我々が乗れたのは結局9時半ごろ。Ramechhapには、我々の現地エージェントが用意してくれた車が待っていた。マーレさんも一緒にカトマンズに行き、すぐ日本人ツアーのアンナプルナトレキングのツアーガイドをする。レンジはLukraで、すぐアメリカ人エベレストベースキャンプのツアーガイドをする。
今の時期、ネパールはダシャインという祭りの時期であった。渋滞まではならないが、カトマンズから多くの人がふる里へ車やオートバイで移動中である。着飾った女性が10Km位は何もないほこりだらけの山岳道路を歩いていたり、5人も乗っているオートバイが疾走したり、満員の乗り合いバスが走っていたり・・。カトマンズに着いたら、まずシャワーを浴びた。それから市内に繰り出し、髭剃りをしてもらった。剃刀は非常によく切れるものであり、髭剃りの抵抗が全くなく、上手い。マッサージ込みで料金は150円であった。2週間ぶりに髭を剃りさっぱりした。ホテルは行きにも泊まったHotel Buddha。
10/26、27 市内観光、買い物。浅原ガイドはカトマンズに置いてある自分のスクーターで、ツアー客1人を後ろに載せ、私を含めた他のツアー客はタクシーで市内観光をした。浅原ガイドのドライビングは、ネパール人と遜色はない。空いている場所をめがけて飛び込んで進む。私が見たカトマンズ市内の信号は2か所しかなかったが、そこでは渋滞が発生していた。信号が無い方が、スムーズに動いている。浅原ガイドはネパール人の感情、考え方、行動様式も理解できる。彼はネパール人と日本企業の架け橋もしている。一週間後、またネパールに戻っていった。
荼毘場、遺体は焼き終わると骨を川に流す。一見どぶ川である。
アトラクションではない。
彼は修業が終わった仙人。この世界遺産に住んでいる。
10/28 ネパール出国
油が合わず胃腸の調子は良くなかった。または帰国後に咳が出るようになった。多分ネパールの埃にやられたのであろう。
▲10月28日~29日 南木曾岳・恵那山 苫米地、小野田、鈴木、高本
■10/28(土)静岡発4:00=7:30道の駅賤母=8:00南木曾岳山麓避難小屋8:20…8:40登山道入口8:55下山道分岐…11:00南木曾岳山頂…11:10南木曾岳山頂避難小屋11:30…11:50摩利支天展望台12:00…12:50下山道分岐13:30…13:40登山道入口…14:00男滝女滝…14:10南木曾岳山麓避難小屋=15:00道の駅賤母=スーパーバロー=17:30萬岳荘(素泊り)
■10/29(日)萬岳荘5:40…5:50神坂峠…6:15千両山…6:35鳥越峠…7:10ウバナギ…7:30大判山…8:00こだまエリア…8:20テングナギ…8:40テングの頭…9:50前宮ルート分岐…10:05恵那山山頂…10:25恵那山山頂避難小屋10:40…11:00前宮ルート分岐…12:10こだまエリア…13:30鳥越峠…14:05千両山…14:25神坂峠…14:35萬岳荘
★南木曾岳:天候:爽やかな秋晴れに恵まれましたが、主要山岳は雲が湧いて残念ながら展望なしでした。
・アクセス:一番奥の駐車場は満車でしたが、すぐ下の駐車場がまだ3台分ほど空いていました。8時過ぎだったので心配していましたがラッキー。3台で来ましたが道の駅賤母で1台に乗り合わせたのも良かったと思います。道の駅賤母は駐車場が広く、車中泊にも良さそうです。
・コース状況:登りルートと下山ルートが分かれています。木の桟道や階段が大変多いためだと思われます。とりわけ危険箇所があるわけではありませんが、登りルート、下りルートともに急峻で、木の桟道や階段はバランスに気を使わされます。雨などで濡れている場合はスリップに要注意です。
・感想等:今回は久しぶりに会の仲間3人と一泊二日の賑やかな山行になりました。1日目は道の駅賤母に集合していざ入山。駐車場に無事駐車でき天気も上々、しかも3人の仲間もいて不安なし。急峻な登りは紅葉やどこか気品を感じさせる高野槙に目を奪われますが、足元は不安定な木の桟道や階段が続くので気が抜けません。標高をぐんぐん稼ぐ登りでなんなく山頂へ。三角点や石碑がありますが樹林に囲まれて展望は皆無です。穏やかな起伏が続く山頂部を避難小屋へ進みます。避難小屋は立派な作りで新しいトイレが併設されていますが水場はありません。展望広場は小高くなっていて御嶽山、中央アルプスが一望できるはずですが、本日は山々だけ雲で隠れていて残念でした。摩利支天展望台は切り立った岩の上で、恵那山方面と南木曾岳山頂部の眺めに優れています。下山ルートは木の桟道、階段に気を使い丁寧に下ります。林道に降りてから男滝、女滝を見物に行きましたが、沢登りをする登山者なら見に行かなくても大丈夫だと思います。秋晴れのもと、久しぶりに仲間たちとの楽しい登山になりました。下山後は中津川で食料を買い出しして、明日の恵那山登山の起点になる萬岳荘へ向かいました。萬岳荘はテントと素泊りのみ。素泊りは4,000円、貸布団代1,000円、ガス代200円で、食器、調理用具は備え付けの立派は共同調理場が食堂の横にある。管理人の原さんは山屋で、親切にも早朝から1分間星空教室を開いてくれたそうだ(わたしは朝食を部屋で済ませたので残念ながら聞きそこねた)。
★南木曾岳:往復4.5時間位というのであまり心配していなかったがかなりの急登続きだった。木の段々や道が多い。登りはまだ良いが下り道は分岐までずっと急坂の上に段差が大きく、足元から全く目が離せずかなり時間が掛かってしまった。登り道では分岐から少し上に展望が良い所があり西側の紅葉した山が見えた。下り道の摩利支天展望台は大きな花崗岩の上に出ると山々が良く見えた。分岐辺りは紅葉が美しく急坂も終わりホッとした。(小野田)
恵那山:天候:快晴無風で絶好の登山日和でした。
・アクセス:萬岳荘に前泊したおかげで駐車場をキープできました。神坂峠の駐車場は10数台停められそうだが、車中泊の登山者も多く、朝5時にはすでに満車だったようです。下山時にはかなり下の林道に停めていた車もありました。神坂峠までの林道は完全舗装でした。
・コース状況:ナギの縁を2か所通過するが、樹木があるので危険はありません。神坂峠コースは恵那山のほかのルートより展望に恵まれていると思いますが、アップダウンが多いので帰路もそれなりに時間がかかります。
・感想等:木曽路遠征2日目。5時過ぎにもう神坂峠駐車場が満車なようなので、昨晩お世話になった萬岳荘にそのまま車を置いて出発です。すでに空は白みはじめていましたが放射冷却で熊笹には霜が。千両山への登りで尾根の左手からは日の出が、右手では月の入りが同時に眺められました。登るにつれて恵那山山頂部のガスが晴れ、昨日登った南木曾岳、昨日見えなかった御嶽山、乗鞍岳、穂高連峰が姿を現します。アップダウンが続くので長い登りや下りがありません。山頂部の一角、前宮ルート分岐からは緩いアップダウンで山頂小屋をへて櫓の立つ山頂へ。残念ながら展望はなく、しかも最高点でもないという不思議な山頂でした。紅葉は落葉松が多くてイマイチでしたが、秋晴れの中、仲間たちと気持ちのよい山歩きを楽しむことができました。恵那山は大きな山でした(苫米地)。
★恵那山:昨日の南木曾岳と違い、道がよく整備されていてアップダウンは多いが大きな段差も急坂も少なく歩き易かった。ただ頂上近くの前宮分岐までの登りはとても長く、なかなか足が進まず大変だった。分岐から男性3人は先に頂上に進み私はそこでやっと水を飲み5分休憩して元気回復。急いで後を追った。避難小屋も頂上も多くの人がいた。展望のない頂上から広く日当たりの良い避難小屋前に戻り休憩。小屋裏の岩に登ったが雲で山は隠れていて残念。稜線からは時々紅葉した山々が見え昨日に続き今年初めての紅葉を楽しんだ。広範囲に様々な色に紅葉している自然の山の秋景色がやはり一番良いなあと思った。久しぶりに4人で小屋に泊まり、快適に食事をし、昨夜は満月、早朝は星空を見て、初めての2座に登る事が出来て楽しかった。皆様有難うございました。(小野田)
★南木曾岳:道の駅賤母集合で、苫米地さんの車1台であららぎ登山口、登山道は急な上りと下りで木の階段がある。雨天時は滑りそうに思えた。頂上付近には、避難小屋、トイレもあり見晴らしが良かった。中津川のバローで買い物をして萬岳荘で宿泊した。山奥に立派な施設がありびっくりした。
恵那山:駐車場が満車のため、萬岳荘から登山開始となった。神坂峠から登り下りしながら稜線を歩くコースは気持ちよくカラ松の黄色く紅葉していた。朝4時に萬岳荘の人からの星座の説明(金星・木星・オリオンなど)をして頂いたのが記憶に残った(鈴木)。
★前立腺の炎症で体調を崩し、しばらく療養に専念していたためすっかり体がなまってしまっていた。苫米地さんが名古屋から近い南木曽岳、恵那山の登山を計画されていたので、病み上がりのリハビリも兼ねて同行させてもらうことにした。
南木曽岳はそれまで聞いたことも、登ったこともない山だった。苫米地さんに確認すると300名山とのこと。その地域の地名を冠した山だけに標高1700m弱の山ながら、なかなか立派な山容の山だった。頂上からは中央アルプスの山並みや御嶽が一望できた。また、至る所に花崗岩がむき出しになっており、樹林帯の中にいくつかの岩場もあった。丁度紅葉の季節でもあり、山の景観や眺望を楽しみながら登ることができた。下山後、恵那山に向かった。まずは中津川市内のスーパに立ち寄り、夕食の買い出しを行い、宿泊予定の萬岳荘に向かった。萬岳荘は神坂峠を越えた山腹にあり、山小屋というより大型ロッジのような立派な建物だった。炊事場も利用でき、ガスから食器まで一通りのものすべて用意されていた。各々が買い出しした食材を皆で食べ、明日の恵那山に備えた。
朝はやはり冷えた。まだ暗い内なのに登山用駐車場は既にいっぱいだった。恵那山は人気の山だということがよく分かった。神坂峠から尾根の道を登る。アップダウンが多かったが眺望は開けており、御嶽、乗鞍、穂高までが一望できた。長い尾根道を最後に突き上げると頂上に続く稜線に出た。恵那山の山容は台形状になっている。稜線に出るとほぼアップダウンがなくなり、水平移動のように頂上に向かった。山頂近くの山小屋ではお昼を楽しむ登山客で広場は満席状態だった。少し離れ山頂も同じく人が多かった。見晴らし台に登ったがそれほど眺望は開けていなかった。その後はまた山小屋まで戻り、食事を済ませ、あまりゆっくりもせずまた長い尾根道を下山した。
思ったより体が動いたが、本来の調子ではなく、体は重かった。これから少しづつ体力の回復に努めていこうと思った(高本)。
▲10月29日 竜頭山 根田、他2人
■鳴沢苑駐車場8:24… 8:50竜頭山登山口…10:21小竜頭分岐…11:00小竜頭…11:10大竜頭分岐…11:50竜頭山12:20…12:50登山口15:00
★新城の奥にある奥三河八選の1山(りゅうずさん)に職場の友人3人で行ってきました。急な登りで調子はあがらす、小竜頭のみ見晴らしがよいところ、左周りで行ったので途中谷筋におりて大竜頭分岐まで赤テープをさがしながら、地図とコンパスを眺め読図の勉強、ひさしぶりの6時間行動となってしましました。知らない山里を歩くのも楽しいものでした。
▲10月30日 浜石岳 苫米地、他1人
■■自宅発13:00=13:30三本松登山口P13:40…14:05薩埵峠分岐…14:20浜石岳山頂15:00…15:10薩埵峠分岐…15:25浜石野外活動センター…15:30三本松登山口P=16:30自宅着
★:天候:快晴無風 ・アクセス:由比から急だが舗装された林道。三本松登山口駐車場は広い。 ・コース状況:歩きやすいよく整備された道です。危険箇所はありません。
・感想等:朝、富士山が白くなっていたので、昼食後、浜石岳にお茶を飲みに行きました。木曽路遠征で、南木曾岳、恵那山を登って昨日帰ってきたばかりなので、クールダウンも兼ねました。雪化粧した富士山はもちろん素晴らしく、安倍奥、南アルプスの山々も全部見えました。快晴無風の中、高本さんイチオシの中津川川上屋さんの栗蒸し羊羹でお茶を一服しました。小野田さんご馳走様!帰りは清水港の魚河岸でお魚を買って帰りました。今月2度目の浜石岳でしたが、ふらっと登れるこんな山が近くにある幸せを感じます。
▲11月1日 愛鷹連峰:愛鷹山 加藤
■自宅発5:00=5:50大棚ノ滝駐車場6:00…6:35沼山橋…7:40第一展望台…8:45袴腰岳…9:20馬場平…9:50愛鷹山10:10…10:40馬場平…11:10袴腰岳…12:00第一展望台12:10…12:55沼山橋…13:25大棚ノ滝駐車場13:30=14:20自宅着
★大棚ノ滝駐車場を6:00に出発し袴腰岳8:45、愛鷹山9:50着。お昼を食べ10:10下山をはじめ、天候がよかったので富士山も良く見えていた。馬場平からの下りと愛鷹山への登りがすべりやすかった。袴腰岳11:10、大棚ノ滝駐車場13:25着。紅葉は袴腰岳中腹まで降りてきていました。
▲11月4日 小楢山(母恋・父恋 周回) 田島
■フフ小楢山登山者駐車場8:06…9:11母恋し道登山道入口…10:20小楢峠…10:36小楢山10:59…11:10小楢峠…11:35幕岩11:44…11:48大沢ノ頭(大沢山)…12:44母恋し道登山道入口…13:29フフ小楢山登山者駐車場
★天候:晴れ ・アクセス:「ふふ山梨」登山者用駐車場(6~7台) ・コース状況:父恋し道は落ち葉が道を隠しているので注意が必要。テープが沢山あるので沿って行けば問題無し。 ・感想等:「ふふ山梨」から母恋し道登山口は林道歩き。案外急な道で疲れる。母恋し道は整備された登山道で問題無し。小楢山山頂は広々として気持ち良い山頂。展望は抜群で富士山・南ア・道志・甲府盆地の展望は素晴らしい。この時期の紅葉も素晴らしく赤い紅葉が映える。幕岩の登りの鎖場は少し手強いので注意が必要。父恋し道は急坂。落ち葉が道を隠しているので注意が必要。浮石が隠れていて思わぬ転倒につながる。以前、「母恋し道・父恋し道」と言う登山道が有るのを知り、気に掛けていました。今回、思い立って紅葉も楽しみに登ってみました。小楢山の山頂は思いがけず広々として展望も素晴らしく、富士山を見ながらの昼食ものんびりいただきました。秋の一日紅葉と富士山を楽しみました。
▲11月4日 高木山(岩登り) 高本、根田
★高木山はこれまで何度も来ていたが、ソロで岩トレをするこが多く、いつも同じ岩場を登っていた。月例岩登りの下見を行うため根田さんを誘って、他の岩場の状況を確認した。いつものゲレンデではなく、南陵と呼ばれるスラブ状のマルチピッチルートを登った。グレードはⅢ~Ⅳ級程度で登りやすく、会の岩トレの岩場にするには丁度良いも思われた。このルートは3ピッチで登れるが、南陵10ピッチと呼ばれるルートのスタート地点でもあった。ルートを繋げていくには、懸垂下降して岩場の基部にとりつき、また登ることを続けていく。4ピッチ、5ピッチ目は5.9程度あった。5ピッチ目を登った後は第3ゲレンデに登り、トップロープを張って、岩トレを行った。これまであまり知らなかった岩場を登るをことができ、高木山はなかなかバリエーションの豊富な岩場であることが分かった(高本)。
★高本君から連絡あり、美濃加茂ICの近くにある高木山へ下見にいってきました。当方立岩がクライミング禁止となって岩に触れていないので心配でした。(私は装備点検も兼ねてといったのにATCガイドを忘れた)高本君から北尾根、岩尾根、南稜に内、南稜でロープワークの練習ができるのではとのこt。マルチピッチ5ピッチを登り、第3ゲレンデでトップロープでの練習をしてきました。岩質は立岩と同質、でガバもあり、みなさんと練習できるのではと思って帰路につきました(根田)。
▲11月9日 湯河原:幕岩(岩登り) 赤石、堀
★最初、10.0a、bあたりを登ったが太刀打ちできず、0.9、0.8あたりを数本登ったあと、10.0bをなんとかズリ上がった(赤石)。
★室内壁に比べて外岩はなかなか難しい。よい勉強になりました(堀)。